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エスペラント学会

以前私も人工言語に関するまとまった文章を
書こうと試みたことがあって、
その関係で「エスペラント学会」を訪ねたことがある。

別に調査だとかインタビューだとか考えず
無計画に赴いただけだったが、なるほど
これが現在の、日本の、
エスペラント事情の縮図だとしたら
あーこんなもんなんだろな、という感想を持つのみ。

一回目は、よく分からず勝手に「図書館」とか
閲覧したり。ノシロの例の教本とかも蔵書にあった。
その後担当者の人としゃべったが、どうも
日本におけるエスペラント普及の流行った時期の
古さを物語るというか。たしかエスペラントは
日本でもラジオとかやってた時期があったんだよな。

―しかしそれも過去の話。
いわゆる危機言語のように、活発な活動家の
高齢化は免れない、といった印象。

いや、同級の友人に「高校時代学会に属していた」
とかいう人がいたから、若い人皆無とかでは無いんだろう。
エスペラントサークルを有する大学もある。
(という名目の怪しげなサークルも多々あるみたいだけど。)

ウチの大学では、盛んな時期も数回あったようだが
現時点でその活動は無い。
探したら意外と近しい先輩の友人とかに
元サークルの幹部がいたようだが、少なくとも
現時点では廃部状態である。

そういうのは学会にも知られているようで、
「君が大学でサークル再生をやってくれないか」
とか情熱的に言われてしまい、困ったなーなんて
状況になったものだ。

そのときはちょっとその気になって、
立ち上げてみようかな、なんて思ったわけで。
エスペラントとか冠しておきながら内容は
「人工言語全般」とかにすれば、とかちょっと
夢は膨らむ。

結局大々的には宣伝しなかったのでレスポンスは
少なく、いつの間にやら投げてましたが。
大体からして私はエスぺランチストではない。


その後近隣の大学に用があったついでに、
二度目の学会訪問をした。

が、相変わらず不活発。
もうそろそろ閉める時間だし、
みたいな面倒そうな対応。


いや、もてなされたくて来た訳じゃない。

が、普及を志向するせっかくの団体が、
こんな雰囲気では、この活動も終息への
末路をたどっているのではとか思わざるを得ない。

で、やっぱり結局お金を取るもんね。
大きな団体だから、お金取らずにやるのも
大変なんだろうけどさ、おそらく
収入を運営費に回しても採算取るのは大変だろうし

せっかく大きな団体が組織されているのに、
勿体無い。仕方ないのかもしれない。
でも、ノシロやなんかと比べたらよっぽど
活動はしやすいはずだ。

日本のエスペラントの将来を案ずる。

人工言語解釈論

もちろん、
解釈の幅を広げるために
作者の意図を伝えるためには

文法と同時に
文章をたくさん発表するのが良いのは
言うまでも無い。
変な解釈されずに済む。

人工言語の発表

私の場合、未完成な人工言語をこうして
ネット上に晒すのには抵抗を感じた。

が、だいぶ気を楽に、未完成でも
出せるようになってきた気がする。



ところで、普及させたい人工言語の発表は、
「完全で不備の無いこと」
が求められる、と私は考える。

一般に、自然言語の語学書ないし概説書
言語の全てを余すところなく記述するのは不可能だ。
が、
全て記述するのを待っていたら日が暮れる。
ある程度研究の進んだ言語なら
それで間に合う場合も多く、
それだけ+αでほぼ完全に習得する人もいよう。
ってか+αってネイティブとの接触だな。

人工言語は、まず先にネイティブがいない。
(エスペラントくらいの境地なら、上記
自然言語の例に倣って考えても差し支えあるまい)

ネイティブがいないが、完全に(?)習得することが
望まれる場合、その言語の全てがそこに
記述されていなくてはならない。

 …私の人工言語は、
 記述が追いつかないが頭の中にある語彙・文法
 不規則変化があるが、普及させなくていいので
 全てが記述されなくてもいい。

普及させる人工言語なら、
ほぼ完全にその全てが顕れていないとならない。
この点で、もちろん人工言語は自然言語より
単純な構造を持っている必要がある。

でなきゃ、習得できないのだから。

と、私は考えている。
従って、人工言語の概説書は、
「これが全てだ」
と思って解釈することにしている。

ノシロの説明が煩雑なのは、この点で
仕方ない。

が、逆に書いていないことに関しては、
書いてある範囲で解釈するぞ、というのが
私の本来の姿勢だ。

これを私は
「人工言語解釈論」として扱っていこう。
古いテトーテ資料が出てきた。
パソコンとか使わず、メモ書きでしか記述の無い頃の。

色々思うところあるが、

例えば語彙。
ああ、こんな語彙を設定してたのか
でも今はすっかり忘れて全然違うの使ってる

なんて語彙もある反面

同じ資料に、いまだに語形変わらず
使っている語彙があったり。

たかが10年にも満たないのに、
なんだか歴史を感じる。
こういう変化が、テトーテの成長を促す。

古い語彙は、表記も形態も今では使いにくいが
発掘して何かの造語にでも使おう。

無宗教

文化過多の話になっちゃうと、やっぱり
人工言語からは話題が逸れちゃうので
避けたいものだが、やっぱりどうしても
切り離せない。

ので、ちょっとばかり。

日本の人とかだと、
「自分は無宗教だ」
という人が多いように思います。

これ、宗教学を学ぶ友人に言わせると
「無宗教などない/無宗教という宗教だ」
って感じで、
いわゆる宗教からフリー、無所属である
ということは無いんだと。

一理ある。と一時納得したものの、
もっともこれは「宗教とは何か」って
あたりから考えないと難しい。

イメージでは、
宗教といえば、
集まったりして、
儀式をして、
祈って、
教えを尊び、
戒律を守り、

…みたいなのがあるから
それに照らして、そんなことしてないから
「自分は無宗教だ」
というのは実に合理的。
そういう観点からすれば、その通り。


東アジアの人たちとの飲み会で、
宗教が話題になった。
日本では、
あんまし積極的にそういう話題は
しないんじゃないかと思う。

口火を切ったのは、某
仏教はかなり入り込んでいるものの
民間信仰も根強い、けど儀礼には疎い
多分日本に似た宗教観の国の人。

日本ほどに仏教とかも入ってるんだろうけど
キリスト教の方が強そうな印象の某国の人は、
確かに母国では日曜礼拝に行ったが
そんなに熱心でなく日本では全然という。

日本仏教の起点じゃないのか、と思ったら
意外と仏教じゃない某国の人は、無宗教だ
という。


…東アジア圏の人は、どちらか言うと
宗教観の薄いといいますか、
熱心じゃないと申しますか。


ただそれでも、冠婚葬祭があり、
神頼みをし、願掛けをし。

いわゆる宗教的な拠り所が無いと
言いながらも、「何か」ある。

死者を悼む。

祝いの場では、守るべき形式がある。

折々の祭りは、人口さえあれば
なかなか廃れない。


これらを総称して宗教というのであれば、
宗教無き文化というのは、無いのではないか、
と思う。


ここで、人工的に「無宗教な文化」があるとしたら。

お祭りは、しない。
カレンダーは、異国からの流用なので参考程度。
新年とか関係ない。
豊作を願わない。
雨が降らなければ諦める。
伝染病が流行っても、
祈祷する暇があれば薬の調合に時間を費やす。
死者のことは、すぐ忘れる。
神に祈らない。
運は、ギャンブルとして楽しむ。
悪人は、現実世界でのみ裁かれる。
地獄とかに落ちない。
お化けは出ない。
暗闇に潜む、ほんとの生き物の方が怖い。
一人でいる家で物音がしても気のせい。
物事が成功したら全て自分の努力のおかげ。
日頃のよい行いとかは別に関係ない。
他人の幸せを望むなら、積極的に行動せよ。

ああっ、なんだか意味わからなくなってきた。
必ずしも悪くないな。
人工文化だからアレだけど、実在するなら
どんな経緯で生じるのか。

「人は、人力で太刀打ち出来ない強大な力を、
神の仕業であると考えた」

この文化では、よっぽどクールに、

「いや、上空では大気圧のうねりがすげぇから
摩擦でカミナリもできるだろうよ」

「きっと見えないほど小さな生き物が我々の体を
蝕み、空気を伝って広まっているんだろうな」

「死とは生命活動の停止。従ってココロを司る
脳とかも停止するので、死んだらそれ以上は無いのだ」

とか考えるのか。
飢饉、戦争、天災。立ち向かえない苦難に、
最終的に占いとかに頼らない。
雨が降らなくても、雨乞いせず運河を掘る。




宗教って、娯楽だったのではとか思う。
先の宗教学学ぶ友人は現代も残る雨乞いを研究、
雨乞い、それはそれは大層な儀式だけども、
詰まるところ宴会みたいなものだったという。

辛い時、騒げ。
年が変わって何があるでも無し
だが騒ごう。

みたいな。
そしてもう一点

「ウソを付くと、そのことによって自身の信頼を失い、結果的に損をするのだ」

とかコドモに言ってもわかんないのよ。

「ウソつくとエンマ様に舌を抜かれるよ」

とかの方がコドモに効果的だろ。
原始、人類はみなガキだった。
だからこそ宗教はある。とも言える?


「神がかりな」怖いものとうれしいもの、を
信じるってのは日々の生活に有益だ。

愛する人を失ったら悲しい。が、
天国で幸せに暮らしていると思えば。みたいな。

結果的に、無くても無理じゃなさそうとか
思えるようになったが、自然文化の中では
普通こういう宗教的作用のおかげでだいぶんラクに
暮らせている。やっぱり、宗教的なアレは必要だ。
人工文化にもね。




めちゃくちゃ長くなったのに併記。
かのエスペラント計画も、当初ザメンホフは
「共通宗教」と一緒に売り出そうとしていた。
民族間のいざこざをなくすためには、言語と
のみならず「宗教」も統一せよと考えていたのだ。
それは、ごもっともながら、
やっぱしキツイよね
たぶん言語以上に。
(いや、ちがうか?かつての宣教師が
頑張って世界中に某宗教広めたように、
努力次第か?人工言語も)

そういや日本でのエスペラント普及には、
やはりある宗教が強く関連している。
宗教とは、やはり切り離せないんですな。

ただ、今の人工言語界のホープの皆さんが
変な宗教とか初めて広めようとしないことを
望みますが

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