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停滞

なんか色々に追われて、
人工言語作りが停滞している。
辞書(WORD)もしばらく開いていない。

これは良くない。

再確認した私にとっての人工言語作りの
目的に照らせば、
毎日やらないと意味が無い。

忙しいをタテマエに避けているのか、
そうではない。
純粋に忙しいのは事実。

授業を、そうだ自言語でノートとろう
とか思いはするものの、
それだから勉強が身に入らないのだ。

うーむ。
とにかく、ぼちぼちやっていこう。

セレンさんに電話してみようと思ったが
結局実らなかった。

人工言語界の発展を切に願う。

語彙+文法

ある言語学の入門書なんかでは、

「言語は語彙と文法から成る」

とかいてあったりします。
感覚的には、首肯。
無数の語彙があって、
ある程度有限の文法に従って組み立てられる。

また次のような例を出して、

「キリンは鼻が長い」
は文的にはすんなりだがおかしい、語彙のマチガイ

「は象鼻で長けれ」
は意味はなんとなくだがおかしい、文法のマチガイ

だ、というように、
ゆえに言語は語彙と文法からなる、
というような説明もしていた。


そうなのかなぁ。
ホントに語彙/文法と分けられるのか。

ここは、自然言語では微妙なところであり、

「ことがある」と「ことができる」を
間違えたら、語彙マチガイ?文法マチガイ?

「について」と「にとって」を
間違えたら、語彙マチガイ?文法マチガイ?

…と、語彙・文法にまたがる項目は
いくらでもある。


この点、
普及型人工言語なら完全分別できるのでは。
分別したほうが、便利だろう。

便利であろう根拠は、
語彙は無限におぼえなえればならない、
これは人工言語でも結構事情は同じ。
しかし文法はある程度限定できる。

普遍的には、どれだけ文法項目が必要か?
これは今後の課題としよう。

優先順位試論

前回のブログは寝惚けてたのか
今読んでも何が言いたいのか
さっぱりな内容だった。
ま、いいか、お気楽ブログで。



「文章いっぱい作れば言語として形を成すのでは」

と安易に考えていただけに、
旧テトーテの文章はたくさん作ったつもりだった。
そんなこともあって、
「昨日今日人工言語つくりを始めた人々のと比べたら
テトーテはよっぽど形になっている」
みたいな幻覚を見ていた。

結果的に文法の細かい部分に気を払わずに
無理繰りやってきてしまい、
一度解体しようという運びに至る。

で、いざ一から作ってみようとか思うと、


なかなかどうして、


面倒だ。

今更、人工言語つくりの面倒さが見え隠れ。

いや、今までは目をつぶっていたのか。
こうして周りの人工言語に目をやると、
実によく出来ている。

うーむ、
とっちらかった自分の部屋でぽつんと、
どこから掃除したらいいのか、
みたいな基本的な悩みを。

格はこうしたい
受動態はこうしたい

みたいなプランはあるのよ、
でも全体が見えてこないっていうか。

用言みたいな語がだいぶ減って、
いわゆる名詞型みたいな路線を歩んでいる感じ。
伴って、ムード・アスペクトみたいな
細かい部分がないがしろになってる感じも。

使役はこう、
強調倒置はこう、

ってのがあっても不足はいつまでも
充足されないし、果てしない。
今更。

今更、何からやったら効率的か
みたいなことに思い及ぶ。

語順

にとらわれるのは
やっぱり近代の言語タイポロジーの弊害か
とか考えてしまうが、やっぱ語順につきる

と感じた。
自由なら自由なりに。
テトーテは割と堅め。

で次いで考えるのが、

複文の作り方。

基本語順+複文の並べ方
と、一部の特殊な構文でも考えておけば、
だいぶ言語がまとまった気がするのでは。

と考え、
語順からまた考えてみているところ。
やっぱ語順は言語構造の骨。
たぶん、大切。

テンスとか。

言語学的なことを言いたいこともある。
言語学をやってると、また
人工言語つくりにひらめきが沸く。

たまに人工言語に絡めて、
言語学的なことも言おう。



テンス(時制)やアスペクト(相)というモノがある。

時制は、時間軸から見た位置すなわち
過去現在未来、みたいな。

相は、その時間の中で動きをどう見るか。
進行中なのか、完了したことなのか。とか。

人間ってのは時間の流れの中に生きているのだから
時間からは離れられない。
すなわち、
全ての言語に過去現在未来形が


…とはならない。
否、先により厳密な定義をしないと。
そもそもテンスとかアスペクトとかってのは
西洋言語学から生まれた。

時制によって動詞が変化し、
相によってまた動詞が変化する。

具体的には、この動詞の変化(活用)に関して
時制やら相やらというのがある、というのが
正確、というか一般的というか。

例えば(さまざまの議論を無視して)
中国語(の述語とか)は過去形・未来形
といった変化をしない。
=中国語にはテンスが無い

ということは可能。
ただ概念として意味として、過去や未来が
表わせないわけではない。
付与する概念に応じ、相応の方法がある。
必須ではない、というだけのこと。


こうした観点から、
日本語にもいわゆる「時制」は無いという論もある。
「スル」「シタ」を未完了・完了の差と考え、
それに後からついてくる形で、
結果的に時間的概念が付与される。


表現としては、述語が必ずしも
一般的概念をしめさなければならないというものではない。

他方、日本語「意味的なの時制と相」は、
切り離しがたいものであり、そういう表現法も一興。

また一語一義主義

単語の意味の対応する語を入れ替えれば
他言語に置き換わる


といった幻想がノシロのような人工言語を産んだ。
実際問題、単語を置き換えただけでは
翻訳は出来ない。
そういう意味で、ノシロは自動翻訳機の域にも
達していない。

この点はよく批判の対象となっている。

…が、実際問題
語学の現場においては、
単語を、別の語に置き換えることで
別の言語になるという教え方は珍しくない。

入門期。
多くの基本単語は日本語との対応で教授される。

中級〜上級期
基本単語の多くが、日本語との完全対応でないことを
知らされる。
が、新出単語に関してはまた日本語との対応で教授。


なんだかんだ、語学の初歩は単語の置き換え。
微妙な違いは、ゆくゆく教えられるも
基本語彙から離れるほどに言語間の差異も減少。

いや、本来日本語と完全一致する単語なんて、
ひとつもない可能性もあろう。
ただ、語学ではその詳細を必ずしも吟味しない。

使用頻度の高い語、いわゆる基本語彙。
学習を念頭に置くなら、基本語彙の意味規定を
やや厳密に行うと良いのでは。やはり、自言語で
記述できるほどに。

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